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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)8309号 判決 1988年8月30日

原告

小倉忠典

ほか一名

被告

興亜火災海上保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、それぞれ一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年八月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五七年五月一二日午前一時五五分ころ

(二) 場所 茨城県稲敷郡茎崎村大字若栗八九六番地先県道上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 事故車両 普通乗用自動車(土浦五五ほ七〇九、以下「本件車両」という。)

(四) 被害者 亡小倉重徳(以下「重徳」という。)

(五) 事故態様 本件車両が、走行中本件事故現場道路に接しその北東側に存する畑に逸脱し、本件車両から外に投げ出されてうつぶせに倒れた重徳の上にのしかかり、同人を窒息死させた(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 横田利江(以下「利江」という。)の責任

(1) 利江は、本件車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき、本件事故によつて生じた原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

(2) 重徳は、昭和三三年七月二八日生まれ(本件事故当時二三歳)の健康な男子で、本件事故当時レストランを経営していたから、同人の死亡による逸失利益及び慰藉料の合計は、二〇〇〇万円を下らないことが明らかである。

(二) 被告の責任

被告は、利江との間で本件車両につき本件事故を保険期間内とする自動車損害賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結していたものであるから、原告らに対し、自賠法一六条一項の規定に基づき、自動車損害賠償保障法施行令(昭和六〇年政令第四号による改正前のもの)二条一項一号イ所定の保険金額二〇〇〇万円の限度において、前記の損害賠償額の支払をすべき責任がある。

3  相続

原告らは、重徳の父母であり、他に重徳の相続人はいないから、重徳の権利義務を法定相続分に従い各二分の一の割合で相続した。

よつて、原告らは、被告に対し、自賠法一六条一項に基づき損害賠償額二〇〇〇万円(原告ら各自につき一〇〇〇万円)及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五九年八月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実は不知。

2  同2(請求原因)(一)(1)の事実のうち、利江が本件車両を所有していたことは認めるが、利江に損害賠償責任があることは争う。同(2)の事実は不知。同(二)の事実のうち、本件保険契約を締結していたことは認めるが、被告に損害賠償額の支払責任があることは争う。

3  同3(相続)の事実は不知。

三  抗弁

当該自動車の運転者は自賠法三条本文にいう他人にあたらないところ、本件事故当時本件車両を運転していたのは重徳であつたから、利江は本件事故につき重徳に対し同条本文に基づく損害賠償責任を負うものではない。

四  抗弁に対する認否

本件事故当時本件車両の運転者が重徳であるとの被告の主張は否認する。右運転者は横田善隆(以下「善隆」という。)であり、重徳は助手席に乗車していたものである。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証及び甲第三号証(甲第三号証については原本の存在をも含む。)並びに証人菊池明彦及び同横田善隆の各証言によれば、請求原因1の事実を認めることができる。

二  本件車両の所有者が利江であることは当事者間に争いがなく、証人横田善隆の証言によれば、利江は本件車両を自己のために運行の用に供していた事実が認められる。

そこで、次に抗弁について判断する。前掲乙第一号証(但し、後記認定に反する部分を除く。)証人横田善隆、同菊池明彦及び同田口道治の各証言、原告小倉忠典本人尋問の結果、鑑定人江守一郎の鑑定の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができ、乙第一号証中この認定に反する部分は鑑定人江守一郎の鑑定の結果と対比して採用することができず、他に右鑑定を覆えすに足りる証拠はない。

1  本件事故現場の状況

(一)  本件事故現場の道路は、茨城県谷田部町から牛久町に通ずる県道谷田部牛久線であり、幅員五・二メートル、歩車道の区別がなく、道路中央線が引かれたアスフアルト舗装の平坦な道路であり、谷田部町方面から牛久町方面に向かいまず右カーブ(以下「本件カーブ」という。)、続いて左カーブになつており、最高速度が毎時四〇キロメートルに制限されていた。

(二)  本件事故現場付近の状況は、別紙事故現場見取図(以下「本件見取図」という。)及び以下に認定するとおりであつた。

(1) 本件カーブの路面のほぼ中央から南東方面に向つて本件車両のタイヤの横すべり痕があり、この痕跡は途中から二条になつて本件事故現場道路に接しその北東側に存する畑の轍掘れ(深さ一〇ないし一五センチメートル)に続いており、右轍掘れは始点から終点まで緩やかな弧を描いて右に湾曲していた。

(2) 右畑に接しその南東に存する麦畑は、幅四メートルにわたつてなぎ倒され、あるいは引き千切られて株ごと抜け、本件見取図の地点付近の麦畑の麦は根本からもぎ取られ、麦畑と前記畑との境界のうつ木は、樹皮がむけ、先端が千切れ麦畑の方に若干傾いていた。

(3) 麦畑と本件車両の後記停止位置までの間の畑は、耕されてふかふかになつており、本件見取図のの各地点に大小の穴があいていたが、これらの穴は、形の一定しない大きな物体が転つてできたような掘れ方をし、また、引きずり痕のようなものによる脈絡はなく点々と存在している。地点には本件車両のフロントウインドガラスの破片が散乱していたが、その散乱の幅、長さからすると右ガラスがそのまま脱落して破損したようであつた。

(4) 本件車両は、本件見取図の「推定転倒位置」に屋根を下にし、前部を道路に向けて停止していたが、本件事故後、本件車両の下敷きになつていた重徳を救出するため牛久町側に半回転させて、本件見取図の「車両を起こした後の位置」に移動させた。右推定転倒位置の近くには、本件車両のマツト、重徳の左足用下駄、善隆の左右の短靴が、それぞれ本件見取図に表示の地点に存していた。

2  本件車両の状況

(一)  本件車両は、昭和五二年式マツダフアミリア五ドア、排気量一三〇〇cc、乗車定員五人、長さ三・八三五メートル、幅一・六〇五メートル、高さ一・三七五メートル、車両重量八二〇キログラムであつた。

(二)  本件車両の損傷状況は以下のとおりであつた。

(1) フロントウインドガラス及び前左右ドアガラスが破損し、屋根右前端が凹損し、右側フロントピラーの上部が後下方に移動し、左右前後フエンダーが凹損し、左右フエンダーミラーが破損し、右ドアは外側へ一五センチメートル内側から押されたように曲損し、右ドアの前部ヒンジ付近に麦がくい込んで付着していた。左前輪はタイヤがリムから内側に外れてパンクしていた。リアウインドガラス及び後ドアガラスは左右とも破損していなかつた。車体の右側は左に比して特に損傷が大きく、ボンネツト及び屋根には畑の土が多量に付着していた。

(2) 運転席の座席は助手席に比べると大分前に出ており、ハンドルと座席の間隔は三三センチメートルであつた。運転席及び助手席とも座席を支えるリクライニング装置及び座席スライド装置には破損等の異常はなかつた。助手席側のダツシユボードの下側部分が三角形に破損しており、この破損部分は畑の中に落ちていた善隆の左足用短靴の爪先部分についていた三角形の圧着擦過痕と合致するものであつた。車内の座席にも畑の土が多量に入つていた。

3  本件車両の停止位置における乗員の転倒状況

本件車両が停止した際、善隆は、助手席のコンソールボツクスの付近で車内に仰向けに倒れ、体の大半は車内であつたが、左足はフロントウインドガラスの壊れた空間から、右足は助手席の窓からそれぞれ外に出て、助手席側フロントピラーを両足で挟んだ格好であつた。重徳は、運転席側で本件車両とほぼ直角の向きになつてうつぶせに倒れ、その背中あたりが本件車両のエンジンフードの下敷きになり、頭部を土の中に潜らせていた。なお、善隆の身長は約一七〇センチメートル、重徳の身長は約一六〇センチメートルであつた。

4  本件事故の態様

右1ないし3で認定した事実から推認される本件事故の態様は以下のとおりである。

本件車両は、高速度で本件カーブに入つたため、本件カーブを曲がり切れずに、路面に横すべり痕を印象して畑に逸脱した。畑に逸脱してからは、車体の右側を浮き上がらせるとともに、車体後部を左に振つて車体の向きを進行方向からしだいに直角に変えながら、左前後輪によつて轍掘れを印象しつつ横滑りしていつた。この車体の向きの変化により、左前輪に大きな力が加わつて左前輪のタイヤがリムから内側に外れた。そして、本件車両は、本件見取図の「轍掘れ」の終点あたりで横転したため、そこから空中をローリング回転(本件車両の前方から見た場合、右回転)しながら飛翔し、約四分の三回転して本件見取図の地点で車体右側面を下にして着地した。その際、運転席及び助手席の乗員が折り重なるようにして右ドアへ衝突したため、右ドアが外側へ一五センチメートル内側から押されたように曲損した。その後も本件車両はローリング回転を続け、ほぼ一回転して本件見取図の地点で屋根右前端を下にして着地した。この際、屋根右前端が凹損し、フロントウインドガラスが破損した。また、この衝撃で乗員は車両に対して下から上に向かつて運動するから、助手席側の乗員の足がダツシユボードをけり上げるような形になつて助手席側のダツシユボード下部に破損を与えた。さらに、本件車両はローリング回転を続け、ほぼ一回転して本件見取図の地点で屋根を下にして着地し、停止するに至つた。

また、運動力学的考察によれば、右に認定した本件車両の運動に際しては、二人の乗員は必ず同一方向に運動し、それぞれが別々の方向に運動することはないこと、一般に普通乗用車の車内は狭いので、車が横転したような場合でも、乗員の位置が入れ替わることは考えられないこと、本件事故により本件車両の屋根右前端が凹損したから、乗車空間は通常より狭くなつており、乗員の位置が入れ替わることは一層考えられないこと、本件車両のダツシユボード下部の破損は、脱げた靴が当たつただけの衝撃によつてできる破損ではなく、助手席乗員が靴を着用してけり上げるような運動をしてはじめてできる破損であること等の事実が認められる。

5  右1ないし4の認定事実、特に、ダツシユボード下部の三角形の破損は助手席乗員が靴を着用してけり上げるような運動をしてはじめてできる破損であり、その破損は善隆の着用していた左足用短靴の爪先部分の圧着擦過痕と合致するものであること、運転席の座席が助手席に比べると大分前に出ていたこと、重徳の身長は約一六〇センチメートルと小柄であつたこと、本件事故により運転席乗員と助手席乗員とが入れ替わることは困難であるところ本件車両が転倒して停止した際に善隆が助手席側に重徳が運転席側に転倒していたこと等を総合すると、本件車両を運転していたのは重徳であつたとするのが合理的であり、また、証人田口道治及び同横田善隆の各証言によれば、善隆は本件事故直後から一貫して、本件事故当時本件車両を運転していたのは重徳であり、自分は助手席に同乗していた旨述べていたことが認められ、以上によれば、本件車両の運転者は重徳であつたと認めるのが相当である。

6  なお、甲第二号証(荒居茂夫作成の鑑定書と題する書面)及び同第四号証(同人作成の鑑定補充書と題する書面、以下、甲第二号証及び同第四号証をまとめて「荒居鑑定」という。)は、本件車両の左右前ドアの損傷状況の見分に基づいて、本件事故の際右ドアは閉じたままであつたのに対し、左ドアは開いたと考えられること、左ドアが開いたのは本件見取図の地点から最終停止位置に至るまでの間に本件車両がヨーイング回転をしたためであること、右状況からすれば、運転席乗員は車外に転落する可能性がないが、助手席乗員はその可能性が高く、したがつて、車外に転落して窒息死した重徳が助手席に乗車していたと結論付けている。しかしながら、右見分が本件事故の日から一年以上も経過した昭和五八年一一月二〇日にされていること、その間本件車両は自動車業者に売却されて放置されていたこと等からすると、右見分時の本件車両の状態が本件事故当時の状態のままであつたかには疑問があるうえ、本件車両が麦畑を通過している際には、前記認定のとおり本件車両の前方から見て右回転のローリング回転をしたことが明らかであるところ、荒居鑑定は左回転のローリング回転をしたことを前提にしているなど、荒居鑑定は証拠上認定することのできない事実を推論の基礎としている点において重大な疑問を容れざるをえないから、右鑑定を採用することは到底できないものというべきである。

以上のように、本件車両を運転していたのは重徳であると認められるところ、運転者は自賠法三条本文にいう他人には当たらないものというべきであるから、被告の抗弁は理由がある。

三  したがつて、利江が本件事故による原告らの損害につき自賠法三条に基づく賠償責任を負うことを前提とする本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田保幸 岡本岳 竹野下喜彦)

別紙 <省略>

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